余談

職人としての私

私は子供の頃から何の志も無く漠然と家業の農業と造園業を継ぐと考えてました。

いわゆる、この職に就くきっかけというモノも志も無くこの世界に入ったわけです。

(漠然と、日本一の百姓とか、日本一の自営とか妄想してた時期も…)

 

ほぼ毎日作業の手元と差し障りの無い木の手入れや雑用ばかり。

休憩中に遊ぶコトばかり考えてても、

毎日、毎月、毎年、同じような作業をしていると、

自ずから考え、要領、コツを覚え、

様々な技を見て学び、見て盗む、ことも身に付く。

 

そっ、なことは誰も教えてくれないんです。

(実際、解らないことは聞けば教えます)

仮に基本を教えても「一回しか見せんぞ」「一回しか言わんぞ」で終わり。

(それくらいの緊張感で学んでほしいし、何回聞いてもいい)

そうこうして、予習、復習などの能力が付き自ら試行錯誤するようになる。

 

そのうち一つの作業、一定の作業を任されたりして

苦労や責任が芽生え、喜び見たいのものや楽しみも芽生えたりする。

そして親方の「良し!」お客様の「きれい」「ありがとう」にやりがいを感じる。

 

人生、困難にぶつかり、苦しんでクリアする。

 

常に学び、学習して、挑戦する。

 

苦を知らずして、楽を覚えるに成長無し。

 

お褒めの言葉も喜びの言葉も有難い。

しかしながら、長年聞いていると当たり前になってくる。

だから腹の中、心中を察し、驚きと感動を与える。

 

これが私の庭師としての生き様である。

 

しかしながら周りを見渡せばまだまだ、まだまだ腹が立つほど未熟であるのも現実。

もっともっと学習しなければならない。 

 

ただ、植木職人としては県内トップクラスだと自負しております。

それでも上には上がいるのに間違いない。 

生涯勉強と学習。。。 

 

縁起と験を担ぐ風習・門松

門松は正月飾りの一つと考えてよいでしょう。

注連縄飾りと同様なんです。

いったいどれだけの人が本来の意味を知り祀っているのか、いささか疑問であるが、単なる風習で飾っているだけかもしれない。

しかし由来は知らずともその風習こそが日本人の気質であろう。

そして都合の良い様に縁起と験を担ぐ飾り付けを盛込む。

されどそれは作り手の伝承とでも云うべき飾り付けなのだ。

そしてその形態は多様であって時代と共に変化し、基本要素は同じでも地域、或いは作り手によって違いがでているのである。

しかしながら、あくまで大切なのは飾り手と作り手の気持ちの念ではないかと思っています。

私的見解なのであしからず。

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