いわゆる剪定なるものですが基本は同様ですが全国的に見て地域性の特色があります。
また、業者、個人によっても個性が全面にでる場合があります。
そして個々のお客様も好み、考え、目的が多様です。
しかし残念ながら最近の依頼主は、「サッパリ、小奇麗」が主流。
また同様に見受けられる業者、職人も多い様に思われます。
とやかく言う私も、その様なお客様にはその様な仕事をすることもあり、お客様の希望、要望なのだからと都合よくそれなりの作業をすることもあります。
かといって少数派ながらも私の仕事に感銘を受ける方もいる。
難しい事は解らずとも見た目、印象の違いなんでしょうか?
お客様の感性なのか何なのか判りませんが、
私の手入れが好みみたいです。
(当然私も庭木などの剪み方の嗜好や目的を伺ったり、無意識に性格や考えを覗いたり、汲み取ったりします)
確かに違いと言えば基礎(土台)があっての基本なんです。
当然経験も学習も含めての話ですが。
基本を学んで学習、実践をしてきた職人はぱっと視の印象は良いです。
また基礎と基本を学んで学習、実践してきた職人の仕事はぱっと視の印象は同様に見えますが、並べ比べると素人でも何となくの違い、違和感は在るんです。
例えば、お客様から観て
玄関と居間から見える何処と無く気になる庭木が在るとします。
基本のみ学習した職人の芽を摘む、小枝を落とす剪みと
基礎と基本を学習した職人の同様の剪みは全く違ってきます。
基本のみ学習した職人の剪みは本人も気づかぬまま樹形を保ちながらも枝や小枝の調整が出来なかったり、無意識に才能や経験値の技量で樹形を変えたり調整したりします。
これはそれなりに馴染んだり、時には違和感を与えたりすることがあります。
これに対し、基礎と基本を学習した職人は知識と技量に加えて周囲の動線、役割、目的を無意識に考えているので樹形を絶妙に変化させたり、枝や小枝の調整を自然にこなします。
したがって、前者の場合
玄関と居間から観てサッパリ気持ちいい感じで馴染むか、何処と無く違和感の残る感じの庭木になります。
後者の場合
玄関と居間から観ても、その場の景観に馴染んだすっきりした感じの庭木になります。
たったこれだけの差で、お客様の印象は変わります。
実際の客様との会話の中で気づいた事です。
また、観ている人はちゃんと観てくれいる事に感謝です。